2007/01/27
新曲のレイアウト
茂木さんの朗読をどう移動させるかということをずっと考え続けています。
楽器のレイアウトは,先日も書きましたように,空間的に楽器を配置することは既にかなり使い尽くされていますし,再演のことも考えてあまり特殊なことはしないようにしています。
でも,茂木さんの詩を読んでいて,ひとつだけひらめきまして,オーケストラの遠くかつ高いところにヴァイオリンをひとつ置くことにしました。
初演予定のいずみホールの写真を先日アップしましたが,正面向かってオルガンの右,ちょっと突き出したバルコニーがあるのです。ここに独りヴァイオリニストに居てもらおうかなと。
将来,いずみホールではなく,サントリーホールみたいなワインヤード型のホールであればオーケストラの背後の席の上,シューボックス型のホールであればバルコニー席,かつ出来るだけ高いところです。
そしてこの曲はそのヴァイオリン・ソロから始まるのです。いま書きつつあるのですが(楽譜としてはまだ書いていません。まず頭の中に全曲を一旦書いてしまって,それから五線紙に向かってそれを推敲しつつ一気に筆を走らせます)モノドラマのような進行になりそうです。
この独奏ヴァイオリニストは,曲の途中にときどき出て来ては,ぽつ,ぽつと短いフレーズを弾きます。演劇の舞台回しのような役目です。時空を超越した神のような,あるいは運命みたいな。
でもそれは我々の日常の生活の中において,自分の意識下では決してドミナントではない,居るのか居ないのかわからないような。でも,我々の可能無限の中でひっそり息をしている無意識的存在です。
それからいつもそうなのですが,ある曲を書き進めていると,次の作品のアイディアもいっしょに浮かんでくるのです。
あ,そうだ,次の作品はこうしようとか,うー,オペラが書きたいーっとかね。将来構想のアイディアも同時に悶々。そう,茂木さん,オペラをいずれいっしょにやりましょうよ,なんて,まだ当てのない夢が脳内を駆け巡ります。
いやいや,まずはこれを楽譜にしなくちゃ。私の脳内にある「仮想としての響き」だけじゃ仕事になりません。では〜♪
江村哲二
2007/01/21
新曲の音高システム
茂木さま,
昨夜からずっと今回の作品に用いる音高システムを考えていました。
私のブログにも今朝書きましたが,茂木さんの詩を読んで,今回は出来るだけ「機械」というものから遠ざかってみようと想うに至り,
また,先日の対談の中で,ジョン・ケージの作品《One-9》を言及したこともあって,そして何よりも茂木さんが書いて下さった「可能無限」というその宇宙観を表すために,プリミティヴな楽器である,雅楽器の「笙」のシステムを使ってみようと思い立ちました。
15本の竹からなる(実際は17本ですが,そのうちの2本は鳴りません)笙は,同時に複数の音が出せる管楽器として,世界的にも珍しい(他にはバグパイプぐらい)楽器です。
そのため,それら複数の音による差音と結合音からなる高次倍音が同時に響くため,あのような天空的(celestial)な響きを持っています。
実際の笙の音律による差音と結合音とによるその高次倍音については,笙奏者の宮田まゆみさん自身によって計算され発表(日本記号学会誌・記号学研究Vol.18)もされていまして,それは昨年1月に発表した《地平線のクオリア》にも一部使ったのですが,
その後,(ここからは少し楽理的な記述になってしまいますが)昨年の9月頃に,基音が長二度と完全五度のペアを2種選んで(LaとSi,RéとMi,笙の音名ではそれぞれ,「乞」と「一」,「几」と「乙」といいます)
それらの結合音の高次倍音列からハーモニック・ピッチを作ってオーケストレーションすると,面白いことができそうなことが解って,
そしてそこにそれらとは全く無縁の高次ハーモニックス項を持つ,Sol#(笙の音名では「美」といいます。いいでしょう!)を入れて山椒の小粒のようなテンションを与えます。
さらに,茂木さんの詩には,その天空的な「可能無限」のイメージの中に,我々の日常的な(いい言葉が浮かびません)地上性(terrestrial)も感じるのですね。
我々の「生」(la vie)における,これもひとつの(茂木さんが絶えず仰っている)偶有性(contingency)ではないかと思うのです。ひとつ前の投稿で時空の飛翔を感じると言ったのはそういうことです。
そしてその意図のために,先ほどの長二度と完全五度のペアのそれぞれの音程を反転(inverse)させたもう一組のペアを重ねています。
これは一種の複調(複数の調が同時進行する)ですが,基本に透明感のある五度の響きがあるために,かなり調性を感じさせる曲になると思います。
このブログを読んで下さっている読者のために,私の仕事部屋の雰囲気もお伝えしようと,自宅の写真を少々添えてみました。江村哲二
2007/01/17
詩の朗読について
茂木さま,
昨年の大晦日に頂いた詩 "An Ode to the Potentially Infinite" を読みながら,いまスコアを書きつつあります。
茂木さんの詩の朗読は,オーケストラの中に入って,語って頂くつもりでいたのですが,詩を読みながらいろいろと考えていて,ちょっとだけ演出をしてみようとひらめきました。
昨年,初演場所のいずみホールをじっくり見させて頂いたのですが,ウィーン楽友協会を思わせるこの美しいホールは,ステージ以外にもいろいろ工夫があります。
茂木さんに書いて頂いたこの詩,私には時空の飛翔を強く感じるのですね。そこを時間(つまり音)だけでなく空間的にも表現できないかなって考えています。
それで,茂木さんには,演奏中に神出鬼没に移動してもらおうかなっと。Wandering Mogi!
楽器をいろんな場所に配置するアイディアはもうかなり使い尽くされているのですが,ひとりのナレーターが移動するというのは,ほとんどないのじゃないかと思います。歌曲ならありますが。
でも,考えなくてはならないことがたくさんあって,うまくコンポジションできるかまだ分かりませんが,このブログ,創作過程を公開するという意味がありますので,結局は実現しないかもしれませんが,私の思考の過程としてアップしました。江村哲二
写真:いずみホール(ホールの許可を得て2006年5月22日に江村が撮影)